クーデターに抗議したミャンマー人選手の今。横浜の地でミャンマー人初のJリーガーを目指す (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 おさらいが長くなった。シーンを車内に戻す。目的地横浜のランドマークが見えてきた。伝えたかったのは、ピエリアンアウンは最後の最後まで逮捕の伴う帰国を覚悟していたということ、そして自分の葛藤の経緯を知る支援者の車で翌日の練習参加に向けて移動をしていたということだ。

 急遽残留を決めた未知の国で、プロを目指すことに不安がないわけがない。それでも信頼する落合が送ってくれたことで、アスリートとして大きな比重を占めるメンタルの面では、少なからず余計なストレスは軽減できたと言えよう。17時半に宿泊予定の元町のホテルに到着した。荷物を下ろしてチェックンに向かう。車内では終始無言だったが、ようやく笑みがこぼれた。

 7月2日に特定活動ビザを取得し、6カ月間の在留と就労の許可を得ている。この6カ月はミャンマーが民主化され迫害の怖れがなくなるまでは継続され、途中で帰国を強制されることはない。一時は、完全に断念していたサッカーをもう一度プレーできるかもしれない。サッカー界において練習参加は入団テストを兼ねており、パフォーマンスがよければプロ契約の道もある。心配されたのは、まずコンディションである。

 W杯2次予選を戦うメンバーとして来日中は代表チームのトレーニングに参加をしてはいた。しかし6月16日に日本残留を決めてから、ちょうど3週間が経過していた。ときおり、高校生の部活動や草サッカーチームに混じって汗を流してはいたが、本格的な練習からは遠のいていた。「そのことの不安はあります。ただ今は、自分が出せるベストを尽くしたい」

 練習初日。小雨交じりのなか、ピエリアンアウンは午前8時にYSCC横浜の練習場であるYC&ACのグランドに向かった。私は3日間に渡るこの機会をサポートするにあたってホテルからの送迎を横浜Fマリノスのサポーターのリーダーとして長年活動をしてきた清義明に頼んだ。

 発信力のある清はかつてドイツW杯で日本代表が惨敗を喫した際、その要因をサッカー協会幹部の学閥、企業閥、商業主義にあると看破して「早稲田×古河+電通=0勝2敗1分」と大書した横断幕をスタジアムで掲げて、2006年度の横断幕大賞を受賞したことでも知られている。何かあれば即座にアラートを鳴らしてくれるだろう。ただでさえ卑劣な難民ヘイトや官製ヘイトが蔓延する日本社会の中で、移動中に無用なトラブルがあってはならない。清の住まいはYC&ACグランドから徒歩5分ということで、地元の環境を熟知しており、ヘイト団体などに対する対応にも長けている。「7月に横浜で安いホテルはない?」とメッセージを送るだけで彼はすべてを理解していた。「あのミャンマー人選手がこっちに来るんですね?」。セキュリティ管理も務まる人材として依頼したところ、二つ返事で協力を快諾してくれた。清の車で練習場に入り、体温を測った上で、チームスタッフに挨拶をかわす。

 ストレッチをはじめたピエリアンアウンは緊張を隠せずにいた。国軍を相手に大胆な行動をとったことや、二の腕からのぞくタトゥーから派手な性格と思われているかもしれないが、その素顔は驚くほどにシャイで物静かだ。集団の中にいても自分から何かを発言したり、食事などで好みを求めたりすることもない。ただ、ここはもうサッカー選手としてのテストの場である。GKである以上、最後尾からコーチングの声もあげないといけない。

 練習前に組まれた円陣でYSCC横浜の代表である吉野次郎はこんなスピーチをした。「今日からひとりの選手が練習に参加する。ミャンマー代表のGKのピエリアンアウン。我々のチームは地域活動にしてもそこに困っている人がいたら、助け合ってやってきた。今、ここにサッカーをしたくてもできない選手がいたら、その環境を提供してあげる。そういうことだ」

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