王者川崎で新風を巻き起こすシンデレラボーイ。その稀有な経歴とは? (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 サッカーにおいても、1年目は「レベルが高くて、本当にやっていくだけで必死でした」と振り返る。

「1年目はプロになることなんて思いもせず、ただただ、ここで試合に出て活躍したい。その気持ちだけでプレーしていました」

 社会人として、サッカー選手として、日々もがき続けた遠野に再び転機が訪れたのは、2019年だった。

「3年目になって、初めてスタメンとして試合に絡めるようになったんです。それで天皇杯でコンサドーレ札幌と試合をした時に、自分が2得点して、チームも4−2で勝利することができた。ゴールもそうですけど、自分のプレーに手応えを感じられて、その時、ちょっとプロというものを目指し始めたというか、意識するようになりました。もっと上でやりたいな、という気持ちが芽生えたんです」

 遠野が在籍した3年間すべてでJFL優勝を飾ったHonda FCは、そのカテゴリーにおける強豪だった。「リーグ戦では優勝していただけに、チームとしてもモチベーションは天皇杯にありました。プロのチームを倒すことにかけていましたし、従業員の人たちも天皇杯のほうが盛り上がるんです」と遠野は言う。

 チームは札幌に続き、3回戦で徳島ヴォルティス、4回戦で浦和レッズにも勝利すると、ベスト8に進出。結果的に準々決勝で鹿島アントラーズに0−1で敗れたが、Honda FCの躍進はサッカーの醍醐味を感じさせ、対戦相手の心をも揺さぶった。

 プロ経験もある古橋達弥と2トップを組んで攻撃を牽引した遠野には、その結果、複数のクラブからオファーが届いた。そのうちのひとつが、川崎だった。

「大弥ならできるよ」

 今も尊敬する人物に名前を挙げる古橋から背中を押された遠野に、迷いはなかった。ただ、すでに三笘や旗手の加入が決まっていた川崎からは1年----2021年まで待ってほしいと言われた。

「プロになるならば1年でも早いほうがいいと思っていたので、素直に『1年は待てません』と言いました。そうしたら、クラブも考えてくれて、オファーをくれていた福岡に期限付き移籍で行くことになったんです」

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