中村憲剛と佐藤寿人に聞いた「増加する若手の海外移籍」どう思う? (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

佐藤 もし、向こうが熱烈にアプローチしてきていたら、行ってました?

中村 たぶん、行けていたとは思うけど。ただ、その時はクラブの言っていることもわかっていたし、代理人とも話をして冬まで伸ばそうかと。でも、冬の時点ではすでに向こうがほかの選手を獲っていたから、オファーはこなかった。

 だから、こういうのはタイミングなんだろうなって、あの時に思いましたね。僕自身にもクラブの慰留を振り払っていくほどの熱意があったかというと、そうでもなかったのかなと。あとはフロンターレでタイトルを獲っていなかったのが一番大きかったですね。

佐藤 そこですよね。

中村 その前にタイトルを獲っていればクラブもサポーターも「タイトル獲ったし、行ってこいよ」と後押ししてくれた可能性もあったのかなと。

佐藤 僕もまったく同じ時期に、ディナモ・ザグレブからオファーがあって。僕自身はワールドカップメンバーではないですけど、たぶんあの頃は日本代表選手がヨーロッパから求められていましたよね。あと、僕の場合は広島のトルコキャンプでディナモと2回対戦していたので、直接見てもらっていたのもありました。

中村 それ、大きいね。

佐藤 そうなんです。それで、直接電話が入って。ただ、3日で結論を出してくれと(笑)。

中村 3日!

佐藤 さすがに3日で決めるのは難しかったですね。でも、当時のディナモはリーグで5連覇していて、CLに出られるのは魅力的でしたね。

中村 なんで、行かなかったの?

佐藤 憲剛くんと同じですよ。広島でまだ何も成し遂げていなかったので。優勝していたら行っていたと思いますよ。

中村 気持ちはよくわかる。

佐藤 ワールドカップが終わったあとの初戦が、ホームでマリノスとだったんですよ。俊さん(中村俊輔)もボンバー(中澤佑二)もいたから、スタジアムに2万5000人くらい入って。その試合で、僕が点を取って、勝てた時にめちゃくちゃうれしかったんですよ。

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