2021.04.02

マラドーナの標的にされた元祖「フェノメノ」が日本にたどり着くまで

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 そしてマラドーナは、この「特製の水」を飲ませたかった選手のひとりはバウドだったと告白している。

「ブラジルの中盤では一番危険な存在で、ブラジルの攻撃を指揮していたのは彼だったからだ」

 しかしバウドはこれを飲みはしなかった。マラドーナに声をかけられても、それを断ったそうだ。

「私は常日頃から、試合中に飲み物を口にすることはほとんどなかった。水分補給は大事だとはわかっていたが、ハーフタイムにコーヒーを飲めばそれで十分だった。何年も経ったあとで、あの時のアルゼンチンの標的は私だったことを知った。そういえばあの試合で、マラドーナに何度も『バルド、バルド』と呼ばれたのを覚えている。しかし私はそれを断り続けた」

 代表でバウドは49試合プレーした。その内訳は28勝12敗9引き分け。プレースキッカーも務め、4ゴールを決めている。

 ポルトガルで、彼は「魔法使い」とも、「小さな天才」とも呼ばれた。フランスでは当時まだ貧乏クラブだったPSGにタイトルをもたらし、「Le dix de tout yes dix(十全十美)」とも呼ばれた。

 彼は選手として成功したが、決してスポットライトを求めなかった。自分のことを語ったりもしない。本当にこの世界では稀有な存在である。そんな彼だからこそ、日本の水はとても合っていたようだ。

「日本で見つけた静けさ、落ち着き、そして謙虚さは、私がずっと探していたものだった。日本では私は本当の自分でいられた。ラフなプレーから逃げ回る必要もない。日本のサッカーは、他の世界のように危険でも、汚いものでもなかった。私は日本で本当に幸せだった」

 97年、彼が名古屋グランパスに加入した時には33歳だったが、すぐにチームに欠かせない選手となり、サポーターのアイドルとなった。
(つづく)

バウド
本名バウド・カンディド・デ・オリベイラ・フィリョ。1964年1月12日生まれ。1983年、フェイゲイレンセでデビューして翌年、グレミオに移籍。その後ベンフィカ、パリ・サンジェルマンを経て、1997年のセカンドステージから1998年のファーストステージまでの約1年間、名古屋グランパスでプレーした。ブラジル代表では1986年メキシコW杯、1990年イタリアW杯に出場。1989年のコパ・アメリカでは優勝している。

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