中村憲剛、震災と向き合った10年。「もう、支援ではないのかもしれない」 (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by (C)KAWASAKI FRONTALE

 自分たちも震災を経験していたとはいえ、被災地のみなさんからは遠く離れていましたし、何不自由ない生活を送れていた。でも、実際に現地に行き、見聞きしたことで震災というものが一気に目の前に飛び込んできたんです。

 僕だけではなく、その場にいた選手たちも、それぞれに思うところ、感じることはあったと思いますし、言い方は悪いかもしれないですけど、実際に被災地の光景を見たり、話を聞いて、やはり少し雰囲気が落ちてしまったんですね。

 それでも、陸前高田の人たちが『今日はみなさんが来てくれるのをすごい楽しみにしていたんですよ』と言ってくれたんです。それで、どこからともなく『俺たちが暗い顔をするわけにはいかないよな』『今日は元気よくやろう』と声をかけ合って、僕らは子どもたちの前に立ったんです」

 楽しそうにボールを蹴る子どもたちの姿を見て、はじめて中村は『来てよかったんだ』と実感したという。

「最初から一生懸命にボールを蹴る子どももいれば、心ここにあらずという子どももいたんですけど、サッカーをしているとボールに集中するから、その瞬間だけは、頭がサッカーのことでいっぱいになって楽しそうにしてくれたんですよね。

 その表情を見て、僕らは救われたというか。ボールを蹴ることで少しでも忘れられたのであれば、僕らが来た意味はあったのかな、と思えたんです」

  サッカー教室を終えて帰るとき、子どもたちから「もう帰っちゃうの」と言われたこともまた、心底うれしかった。先生や保護者から「また絶対に来てください」と言われたことで、抱いていた感情は杞憂にすぎなかったと思い直すことができた。

「そう言ってくれた陸前高田の人たちの気持ちが嘘じゃなかったということは、10年間、僕らの関係が続いてきたことで証明されたと思っています。あの時、本当に『ありがとう』って思ってくれたから、次の年も僕らは呼んでもらえましたし、今も続いていると思うんです」

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