2021.02.20

欧州でプレーする姿が見たかった。海を渡らなかったJリーガーたち

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

 それは、三浦知良が1999年に所属したこともあるディナモ・ザグレブ。2010年7月20日付の日刊スポーツは『Jリーグ 広島 クロアチアリーグ強豪ディナモ・ザグレブが佐藤寿の移籍打診』と報じている。

 記事によれば、当時サンフレッチェ広島を率いたミハイロ・ペトロヴィッチ監督がディナモ・ザグレブとの親交が深く、2009年のトルコでのキャンプの際、同クラブとの練習試合で2戦2ゴールを決めた佐藤が高く評価されたという。

 この時の心境については、今年2月のインタビューで佐藤本人が明かしているので、そちらもチェックしていただきたい(『佐藤寿人にあった幻の移籍話。「家族以外、誰にも言っていない」』)。キャリアを重ねながらゴール前での「ワンタッチ・ゴーラー」へと変貌していった佐藤が、彼の憧れた元イタリア代表FWフィリッポ・インザーギを生んだセリエAを目指して海外リーグでゴールを重ねる......というドラマも見てみたかった。

 遠藤保仁の場合、オファーは事欠かなかったようだが、タイミングと希望が合致せずに海外でのプレーは実現しなかった。

 遠藤に初めて海外移籍の話が浮上したのは2000年。スイスのクラブからオファーがあったという。だが、このシーズンで所属していた京都パープルサンガがJ2降格となったなか、稲本潤一のアーセナル移籍によってボランチ補強に動いたガンバ大阪を新天地にした。

 2003年末には契約交渉で、海外挑戦に向けた特別条項の付加を要望。希望するスペインやポルトガルへの移籍に向けて動き出したが、この年に結婚・第一子誕生と環境が様変わりしたことで、海外挑戦のハードルは高まったのかもしれない。

 2008年には『サッカー 英2部プリマス、G大阪・遠藤獲り 来年1月移籍も』(スポーツニッポン・11月10日付)、2011年には『遠藤にオイルマネー2億円』(日刊スポーツ・6月25日付)の見出しでカタールのクラブが獲得調査に乗り出したと伝えたが、実現には至らなかった。