森保ジャパンのコーチが唸ったオシムのマネジメント「すごく選手思い」 (2ページ目)
オシムがジェフの指揮を執ったのは、2003年から2006年6月。その間、ジェフはリーグ戦とナビスコカップ(現ルヴァンカップ)合わせて47試合を市原臨海競技場で戦い、29勝14分4敗と、たった4試合しか負けていない。2005年終盤からホームスタジアムとして使用するようになるフクダ電子アリーナでの試合を加えると、38勝19分5敗となる。
年に1、2度の秋田、松本、国立競技場でのゲームに敗れることはあったが、地元のファン・サポーターの前ではめっぽう強かったのだ。
「当時、市原臨海競技場でほとんど負けなかったことは、誇りに思いますね」
松本がフィジカルコーチの道に進むことを決めたのは、大学時代のことである。
中京大学時代、東海学生サッカーリーグで新人王や得点王、ベストイレブンに輝くなど、アタッカーとして活躍していた松本は、運動生理学を専門とした研究室に所属していた。
「ここで体力測定の結果に基づくトレーニングのアドバイスを受けて、自分のパフォーマンスが変わっていくのが感じられた。それで、将来的に選手たちにこういうサポートをしてあげられたらいいなと思い、フィジカルコーチの道を目指したんです」
現在は日本代表のフィジカルコーチを務める松本(写真:日本サッカー協会提供) 中京大学大学院体育学研究科を経て、1999年に立正大サッカー部のフィジカルコーチに就任する。この時、チームにはのちにアルビレックス新潟などでプレーする安英学(アン・ヨンハ)や新井健二らがいた。
2001年には、その後の人生が大きく動き出すチャンスを掴む。パートタイムではあったが、ジェフのユースチームのフィジカルコーチを務める機会を得たのだ。
「そこでジェフとの繋がりができたんです。その頃、ジェフのトップチームはまだフィジカル的な指導を積極的に取り入れていたわけではなかったので、『トップチームのほうでも、お力になれることがあれば』と売り込んだ。立正大の選手たちを何人かJリーグに送り込んでいたこともあって私の仕事を評価してくださる人がいて、翌年にはトップチームのフィジカルコーチとして契約を結ぶことができました」
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