浦和サポに土下座した清水の守護神。今も愛され続ける「クモ男」 (2ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

 シジマールが守護神となった清水は、2ndステージ14勝4敗で26得点9失点。2ndステージの総失点はリーグ最少を記録し、優勝争いを演じて2位になった。

 このシーズンのシジマールと清水DF陣の鉄壁ぶりを物語る記録が、連続無失点時間記録だ。

 シジマールのJリーグデビューとなったサンフレッチェ広島戦で前半9分に失点して以降、第9節のガンバ大阪戦で53分に礒貝洋光にゴールを決められるまで、無失点時間は足掛け8試合731分に及んだ。これはJ1でいまだトップに君臨している記録だ。

 ちなみに、Jリーグ全体でシジマールの記録を上回ったのは、2006年にJ2で横浜FCのGK菅野孝憲が記録した770分。菅野は2008年から柏レイソルに移籍し、2009年に柏のGKコーチにシジマールが就任すると、そのシーズンに菅野は日本代表に初選出されている。

シジマールは身長183cmと、GKとして決して大きい選手ではない。だが、両腕を横に広げたウイングスパンは195cm。手のひらも縦22cm、横24cmと大きく、サッカーボールを片手で掴めるほど。この長い手足と大きな手を伸ばした姿がクモっぽいことから『クモ男』と呼ばれたが、同時にPK戦に強い『PK男』でもあった。

 PK戦で大きなインパクトを残したのが、1993年2ndシーズンで優勝争いするライバル・ヴェルディ川崎との一戦だ。この試合ではPK戦でカズ(三浦知良)と石川康のシュートを防いで白星を掴み取っているが、石川のPKは1度目で止めたものの、審判が「シジマールが早くに動いた」とやり直しの判定。それでも2度目もしっかりコースを読み切ってシュートを防いだ。

 1994年の1stステージでも清水は優勝争いに加わり、シジマールは不可欠な存在だった。だが、2ndステージからレオン監督に代わってロベルト・リベリーノ監督が就任すると、風向きが変わる。

 1970年W杯メキシコ大会から3大会連続で出場し、1974年W杯西ドイツ大会ではペレに代わってブラジル代表の背番号10をつけたブラジルの英雄は、3つの外国人枠をすべて攻撃的なフィールドプレイヤーに使うことを決断する。

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