オシム・ジェフで勉強した哲学を元日本代表MFはクラブ運営に生かす (5ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 日本代表のトレーニングを見学した望月はあることに気づく。練習内容がジェフ時代と同じだったのだ。

「以前、グランパスでチームメイトだった中西哲生と平野孝がアーセナルのベンゲルのもとを訪ねたら、(デニス・)ベルカンプや(ティエリ・)アンリ、(パトリック・)ビエラといった超一流の選手たちがグランパスと同じ練習をこなしていた、と興奮していたけど、それと同じだなと思ったよ。トレーニングするメンバーは違っても、コンセプトや狙いというのは変わらないんだなって」

 2008年2月、資本金900万円を用意してSC相模原を立ち上げた望月は、自ら代表に就任し、当初は指導者も兼務した。神奈川県社会人リーグ3部からスタートしたチームは2014年にJ3に昇格し、目標のひとつだったJリーグ入りを果たす。

「最初の6、7年は指導者もやっていたんだけど、見て楽しい、やって楽しいサッカーを目指したのはオシムさんの影響。ただ、オシムさんは原点に過ぎなくて、それを噛み砕いて自分なりの肉付けをして、自分のスタイルにしていくことが大事だった。今は会長職に専念しているけど、『こういうメニューはどう?』なんて監督にアドバイスしちゃうこともあるんだ(笑)」

 もし、オシムさんと再会できたら、どんな話をしたいですか――。そう訊ねると、望月はクラブのオーナーらしい願いを即答した。

「うちの顧問になってください、ってお願いするよ。そうしたら、うちは絶対に強くなると確信している」

 さらに望月は「オシムさんってピッチ内では厳格なんだけど、ピッチを離れると、ホテルやバスでお酒を飲んでベロンベロンになったりして、すごくお茶目なところもある。そういう人間味溢れるところも、あの人の魅力だよね」と笑った。

 13年前にSC相模原を立ち上げた時は、母体となる企業チームや大口スポンサーがないどころか、選手すらいない、ゼロからのスタートだった。あったのは、「Jリーグのクラブを作りたいっていう情熱と、スタジアムをファン・サポーターでいっぱいにしたいっていう夢だけだったね」と望月は振り返った。

 野心を持て――。

 夢の実現のためにリスクを冒してアクションを起こした望月の生き方は、まさにオシムがジェフの選手たちに説いた哲学そのものだ。

 そして2020年シーズン、SC相模原はJ3の最終節で2位に浮上し、念願のJ2昇格を成し遂げた。

(第4回につづく)

■望月重良(もちづき・しげよし)
1973年7月9日生まれ。静岡県出身。清水商業高校で全国制覇を経験し、筑波大学を経て1996年に名古屋グランパスエイトに加入。ジェフユナイテッド市原(当時)をはじめ、さまざまなチームで活躍。日本代表としても通算14試合に出場した。2007年1月に引退。2008年2月にSC相模原を立ち上げ、現在は会長を務める。チームは2014年にJ3に参戦し、2020年にJ2昇格を果たした。

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