オシム・ジェフで勉強した哲学を元日本代表MFはクラブ運営に生かす

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 27分にグラウのゴールでジュビロが先制すると、50分に崔龍洙(チェ・ヨンス)がチップキックのPKを決めてジェフが追いつく。さらに75分、サンドロのゴールでジェフがひっくり返すと、1分後にジュビロがセットプレーの流れから、前田遼一が意地のヘディングゴールを決める――。

 ジェットコースターのようなスリリングな展開、真夏のヤマハスタジアムを覆った熱気、痺れるような緊迫感......。そのすべてが今なお、望月の脳裏にくっきりと刻まれている。

「黄金期だったジュビロと、これだけの試合をやれるんだなって。ジェフは羽生(直剛)や(佐藤)勇人、阿部とか若いメンバーが中心だけど、力負けしないどころか追い詰めていた。(ともに清水商業高時代の先輩で、ジュビロに所属していた)ナナ(名波浩)も(藤田)俊哉さんもびっくりしたと思うし、ショックだったと思う」

 リーグ戦では途中出場が続いた望月だったが、カップ戦では出場機会を得ていた。4月9日に行なわれたナビスコカップ(現ルヴァンカップ)のセレッソ大阪戦ではスタメンに指名され、7月2日のガンバ大阪戦でも先発出場を飾った。だが、ガンバ戦ではハーフタイムに交代させられてしまう。

 その翌日のことである。オシムは試合に出場した選手を集め、「昨日の試合ではシゲが一番よかった。でも、シゲを代えざるを得なかった」と説明した。

「それも理解できたよ。監督は90分をデザインしてマネジメントしているわけで、前半がこういう展開だったから、後半は次の手をこう打つ、と考えるのは当然のこと。その中での交代だったと思うから、納得したよ。でもね、オシムさんのカリスマ性が僕を納得させた部分もあったかもしれない(笑)」

 望月にベガルタ仙台からオファーが届いたのは、2ndステージが開幕した8月のことだった。

 オシムの指導を受けられなくなるのは残念だったが、出場機会のあるチームでプレーするほうが自身のためだと判断した望月は、半年間の期限付きでベガルタに移ることにした。

「この時、初めてオシムさんのもとを訪ねたんだ。アドバイスをいただけないかって。そうしたら、『シゲは技術があるんだから、もっとシンプルにプレーしたほうがいい』言ってくれた。技術のある選手はどうしても見せたがるものだけど、技術があるからこそ味方を生かす、グループでプレーする必要があるんだと」

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