オシム・ジェフで勉強した哲学を元日本代表MFはクラブ運営に生かす (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

現在はSC相模原のオーナーを務める望月 photo by Sportiva現在はSC相模原のオーナーを務める望月 photo by Sportiva オシムがジェフユナイテッド市原(現千葉)の指揮官に就任した2003年、29歳だった望月もヴィッセル神戸から加入した。新司令塔として期待された望月は、ハードトレーニングを行なった韓国キャンプ、市原に戻ってからの練習でも存在感を存分に発揮する。サッカー専門誌には東京ヴェルディとの開幕戦の予想スタメンとして、その名前が記されていた。

 ところが開幕1週間前に左膝内側靭帯を傷め、戦線離脱を余儀なくされてしまう。3節のヴィッセル神戸戦で途中出場を果たしたものの、その後、若返りを図ったチームにおいて、望月はベンチを温める時間が長くなる。

「若返りというか、オシムさんの中では、アグレッシブで走れる選手という選考基準があったと思う。そういう選手を使いながら伸ばしていきたいんだろうなと。監督によって目指すチームは違うわけだから、ハマる選手もいれば、ハマらない選手もいるのは当然のこと。ただ、オシムさんは走ることを大事にしていたけど、その前提として高い技術レベルも求めていた。僕は技術面はクリアしていると思っていたから、アグレッシブなところも出していかないとなって」

 当時21歳でキャプテンに任命された阿部勇樹を中心とした若いチームは、後方から人が次々と飛び出し、大きな波が幾度も押し寄せるようなアタックでリーグに旋風を巻き起こす。望月にも、チームの変化がはっきりと感じられた。

「モビリティがあるというか、躍動感溢れるチームになっていった。僕はベンチが多かったけど、見ていて面白かったね。自分が出たらどういうことができるかなって想像しただけでワクワクしたし、こういうサッカーもあるんだなとも思った。この監督、やっぱりただ者じゃないなと」

 チームと指揮官に対するポジティブな思いをさらに強めたのが、2003年7月20日に行なわれた激闘――首位に立つジェフが、前年に完全優勝を成し遂げた絶対王者・ジュビロ磐田のホームに乗り込んだ一戦である。

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