FC岐阜前社長はJリーグに危機感。このままでは「百年構想」は崩れ去る (3ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi
  • 写真:恩田氏提供

 1993年のJリーグ創生時、いわゆる「オリジナル10」と呼ばれる最初の10チーム、浦和レッズ、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド千葉(当時市原)、東京ヴェルディ(当時ヴェルディ川崎)、名古屋グランパス、清水エスパルス、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、横浜マリノス、横浜フリューゲルス(横浜2チームは合併して現在横浜F・マリノス)はずっしりと地域に根を生やしています。サッカー門外漢でも名前は聞いたことがあるはずです。

 数年前、J2で名古屋グランパスと対戦した時に相手サポーターから『歴史が違う』という、ある種の誇りのようなオーラを感じました。まさしく歴史が積み上げた誇りだと思います。

 プロ野球が人気に陰りを見せながら生き残っているのは、確固たる歴史を基盤にしながらも、その歴史にあぐらをかかない営業努力で未来につながる客層を得ているからだと思います。

 今日のパリーグの隆盛は、30年前の私が小学生の時の状況から考えると到底想像出来ない世界です。当時は、西武以外の試合は軒並みスタジアムに閑古鳥が鳴いていました。そこから30年かけてオールドファンとニューファンが見事に融合して、現在の隆盛があります。

 私がFC岐阜社長就任当初、「にわかサポーター(この呼び方が適切とは個人的には思いません)」に対して「オールドサポーター」が快く思っていない動きがありました。オールドサポーターの『チーム愛』の反動の気持ちもわからなくはありません。またこういった話はFC岐阜に限らず、他のJリーグのチームにもあると思います。

 私は社長在任中、にわかサポーターを増やすのに全力を注ぎました。サポーターの裾野を広げない限り、チームの未来はないと思ったからです。コロナ危機の今こそJリーグ、クラブ、サポーターが一丸となって子どもたちを含めた新たな客層にサッカーの魅力を伝えるべきです。百年先にどのクラブも存続するために!

 FC岐阜もそれを成し遂げられれば、将来的には夢のJ1の舞台が待っていると私は信じています。

【Profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)
1978年生まれ。岐阜県出身。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。現場主義を掲げ、チーム再建に尽力。就任と同時期にALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症。2015年末、病状の進行により職務遂行困難となり、やむなく社長を辞任。翌年、『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで創業資金を募り、(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行なう。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に、気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。私生活では2児の父。

※ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて、力がなくなっていく病気。 最終的には自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけないと死に至る。 筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、運動をつかさどる神経が障害を受け、脳からの命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり筋肉が痩せていく。その一方で、体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通。発症は10万人に1人か2人と言われており、現代の医学でも原因は究明できず、効果的な治療法は確立されていない。日本には現在約9000人の患者がいると言われている。

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