川崎Fは史上最強か。識者が選ぶJリーグ歴代優勝クラブのランキング (3ページ目)

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第2位:ジュビロ磐田/2002年(11ポイント)

2002年のジュビロ磐田。機能性と即興性に溢れた魅力的なチームだった2002年のジュビロ磐田。機能性と即興性に溢れた魅力的なチームだったJ史上初の両ステージ優勝の磐田
飯尾篤史氏(スポーツライター)

 2002年のジュビロ磐田を語るうえで01年の彼らについて触れないわけにはいかない。鈴木政一監督に率いられたこの年、磐田は7月に予定された世界クラブ選手権でレアル・マドリード(スペイン)を倒すため、斬新なシステムを編み出した。それが、中盤中央に名波浩を配し、サイドに人を置かない「N-BOX」だ。

 この新システムを引っさげ、磐田は1stステージを独走したが、名波の負傷とともに「N-BOX」は終焉し、世界クラブ選手権も中止。さらに、シーズンを通して3敗しか喫しなかったのに、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れ、無冠に終わった。

 この悔しさが、選手たちのハートに火をつけた。「02年は最初から完全優勝を狙っていた」。そう振り返ったのは名波だ。W杯イヤーのこの年、磐田はオーソドックスな3-4-1-2を採用。トップ下の名波が左ボランチへ、左ボランチの服部年宏が左ウイングバックへ、左ウイングバックの藤田俊哉がトップ下へ、まるで風車のごとくスライドして相手を撹乱。

 中山雅史との阿吽の呼吸が磨かれた高原直泰がゴールを量産する。芸術性の高かった前年と比べ、「より結果にこだわった」と名波が言うように、泥臭さや勝利への執念も際立ち、磐田は史上初の両ステージ制覇、完全優勝を成し遂げたのだった。

磐田の黄金期は奇跡的なサッカー
中山 淳氏(サッカージャーナリスト)

 1stステージと2ndステージを共に制し、わずか3敗で完全優勝を果たした2002年のジュビロ磐田は、90年代後半から始まった黄金期の集大成と言えるチーム。既存のスタイルにとらわれず、阿吽の呼吸でお互いを理解し合う成熟したタレントたちが、ピッチ上で見せた機能性とアドリブ性に溢れたそのサッカーは、"型"にはまったスタイルが主流の現代においては、もう2度と拝むことのできない奇跡的シロモノだった。

 3-5-2の核は、中盤の藤田俊哉、名波浩、福西崇史、服部年宏、西紀寛の5人。01年は名波を中心とする「N-BOX」と呼ばれた独自の並びだったが、この年は奥大介の移籍で西が右ワイドに張り、左サイドを藤田、名波、服部の3人がローテーションしながらバランスをとるスタイルに変化した。

 このような進化を遂げられた背景には、選手の意見を取り入れながら全体を俯瞰し、選手に気持ちよくプレーさせる懐の持ち主であった鈴木政一監督の存在があってこそ。選手と監督の関係性も、奇跡的だった。

 その年のMVPと得点王の二冠に輝いた高原直泰(26得点)と16得点を記録した中山雅史の2トップも強烈で、歴代最多タイとなる7人(中山、高原、藤田、名波、福西、田中誠、鈴木秀人)がベストイレブンに選出されたのも、その強さを物語る。また、このチームのベースがアジアクラブ選手権(現ACL)で優勝した99年のチームに端を発していたことを考えると、Jリーグの枠を超えたインターナショナルなチームだったとも言える。

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