中村憲剛・独占インタビュー。「引退発表した今だから話せること」 (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 でも、徐々にひざの痛みが癒えて、やれることが増えていったら、これはしっかり見せて終わることができるんじゃないかと、どんどん思えるようになった。でも、だからと言ってそこから何年も......という発想は、自分のなかにはやはり生まれなかったんです」

 復帰まで約10カ月に及ぶリハビリを続けながらも、中村はずっとカウントダウンをしていたのである。

「終わりを決めていたからこそ、あのリハビリも耐えられたところがあったんです。リハビリ期間中は思いどおりに進まないこともありましたし、コロナ禍においては精神的にもきつかったですけど、ピッチに絶対に戻らなければいけない理由が自分にはあったので、耐えることができた。ただ、戻るまでの時間が長くなれば長くなるほど、試合に出られる期間はどんどん短くなっていくわけですから」

 思い返せば、全体練習に完全合流したのが7月28日。そこから復帰に向けて自身の準備が整っていながらも、試合に出られない状況に少しばかり憤っていた期間があった。だが、現役引退の日が刻々と迫っていたことを知れば、すべてにおいて合点がいく。

◆「泣き崩れた中村憲剛の姿を忘れない。2017年の川崎は本当に勝負強かった」はこちら>>

 8月29日のJ1第13節の清水エスパルス戦で、途中出場からゴールという最高の結果で自身の復帰戦を飾り、その後、横浜FC戦で初先発するなど、着実に階段を登ってきた。

 名古屋戦では、セットプレーの精度もさることながら、パスの質、さらに言えばポジショニングの妙も際立っていた。中村憲剛は、やはり我々が待ち望んでいた中村憲剛だったのである。

 だからこそ、鬼木監督はそのプレーを見て、「もっとやりたい」と思っていると感じてもいたのだろう。その名古屋戦を終えて、復帰に際して何を重視していたかの問いに、中村はこう答えてくれていた。

「頭と、目ですかね。そこがついていって、初めて身体が動く年齢でもある。これが20代とかであれば、遮二無二やるという選択肢もあったかもしれないですけど、むしろどれだけ研ぎ澄まして、無駄をそぎ落とすか。要は自分じゃなければいけないプレーを見せなければいけないわけですからね。

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