2020.10.07

カズ、ジーコ…鹿島初のブラジル人
監督が語る日本の思い出

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 監督の宮本(征勝)さんは親しみやすく、優秀な監督だったが、アントラーズがあるべきポジションにチームを持っていくことができてはいなかった。この頃のJリーグに必要だったのは、若い日本人選手のテクニックを伸ばし、ハイレベルなプレーができるグループを作れる監督だった。

 そこでジーコは鹿島の幹部に私の名を告げ、アントラーズは最終的に私を選んでくれた。私には彼らが求めていた指導者としてのスキル、経験、人間性があり、鹿島の監督にふさわしいと判断したのだろう。

 アントラーズは私の人生の中でも最も誇れるチームのひとつだ。この栄光あるチームの最初の外国人監督であったことを名誉に思う。当時、日本はプロサッカーの黎明期で、正直、苦労することはいろいろあった。しかし、それも今のアントラーズを見れば報われる。人々の努力もあって、あの頃の苦労はきちんと実を結んだ。アントラーズは日本で、アジアでトップのチームとなった。そのうちの何パーセントかで私が貢献していると思えるのはうれしいことだ。

 当時にタイムスリップしたとしても、私はもう一度日本行きを選ぶだろう。

 ブラジルから向かった日本はちょうど大雪に見舞われて、私は成田ではなく札幌に降り立ってしまった。私にとっては大雪も日本もすべて初めての経験で、それはこれから私の前にはだかる、これまでないような現実を象徴しているような錯覚に陥った。私は途方に暮れていた。結局、その日は空港の小さなスペースで眠らねばならなかった。翌日私は札幌から名古屋に飛んだ。依然として成田は閉鎖されていたからだ。

 私の日本での最高の思い出は、日本代表のテクニカルアドバイザーとして、アジアカップを制覇した時だ。兄弟ふたりで力を合わせて手に入れたものでもあった。決勝の相手の中国は強かったが、我々は彼らのホームで勝利を手に入れた。スタジアムは中国人のサポーターでいっぱいだったが、日本の選手たちはそんなアウェーの空気をものともせず、美しく、見ていて楽しいサッカーをしてくれた。日本サッカーの歴史に残る勝利にかかわることができたことを嬉しく思っている。