2020.10.07

カズ、ジーコ…鹿島初のブラジル人
監督が語る日本の思い出

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 当時は今のようにインターネットや通信が発達していなかったから、こうした情報が伝わりづらかったのかもしれない。州リーグ決勝で、カズが後半に出場し、ゲームの中心となり優勝を確実にした2ゴール目を挙げたのを忘れられない。彼はボールを決して離さず、相手のPKを誘い、彼自身がそのPKを決めたのだ」

 カズがCKで直接ゴールを決めることに長けていたのを見て、エドゥはその点も伸ばそうとしたという。

「何カ月もかけて最も危険なコーナーを蹴る方法を彼に教えた。彼は聡明で貪欲だったので、学んだことを自分の中でより磨きをかけた。彼がゴールを決めるたびに、その中に自分の教えも息づいていることを感じて、大きな喜びを感じる。カズというすばらしい選手を作り上げる手伝いができたことに、大きな満足を感じている」

◆「最年長出場記録更新のカズ伝説」はこちら>>

 94年、エドゥは鹿島アントラーズでプレーしていたジーコに呼ばれ、まずはテクニカルコーチに、その後監督に就任した。その後アントラーズのサッカースクールなど若手のコーチをした後、2002年にジーコが日本代表監督に就任すると、彼はサブコーチに就任。2006年には念願だったW杯にも出場した。以後はジーコの傍らにエドゥの姿があり、トルコのフェネルバフチェ、ウズベキスタンのブニョドコル、ロシアのCSKAモスクワ、ギリシアのオリンピアコス、そしてイラク代表でもサブコーチを務めた。

 今回、私はこの記事を書くにあたって、旧知のエドゥに電話をかけた。彼の日本への想いはとても強く、かの地でおこった様々なエピソードを語ってくれた。そこには日本サッカーの成長を支えてきた彼の姿があった。日本の皆さんにもぜひ知ってもらいたい物語だ。

「日本行へ行くことは私の選択ではなく、日本が私を選んでくれたのだと思っている。ある時、弟は言った。『レベルの高いトレーニングができる信頼できるプロの指導者がアントラーズには必要だ』と。当時のアントラーズには、ジーコはもちろん、すでにカルロス・アルベルトやアルシンドもいたが、チームは今ひとつ飛躍できないでいた。