コロナ禍でも諦めるな。高校最後の舞台でプロ入りを射止めた選手たち (3ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by Sankei Visual

 結果的に決勝は1-3で敗れ、自身もノーゴールに終わった。だが、DF3人に囲まれながら、力強いボールキープから絶妙なラストパスを通した1アシストは、絶対王者を相手に十分なインパクトを残すものだった。

 片桐がこの大会で奪ったゴール数は6。国見の柴崎と並び、大会得点王となった。

 ところが、高いポテンシャルを感じさせる未完の大器も、当時の進路は未定。Jクラブもノーマークだったわけではないが、プレーにムラがあり、なかなか進路が決まらなかった。大会中には「卒業後はプロでやりたい」と話し、「最終的にはヨーロッパでプレーしたい」とも語っている。

 はたして、この大会での活躍が決め手となり、複数のクラブが獲得に動くなか、片桐は名古屋グランパス入りを決めた。選手権での必死の就活がなければ、実現しなかったプロ入りだっただろう(2014年、現役引退)。

 また、1996年1月、第74回大会でも、ひとりの高校生が選手権での活躍をきっかけに、プロへの道を切り開いている。日本がアトランタ五輪最終予選を勝ち抜き、28年ぶりに世界への扉を開くことになる、およそ2カ月前のことだ。

 静岡学園と鹿児島実が両校優勝となったこの大会は、柳沢敦(富山第一→鹿島アントラーズなど)、山下芳輝(東福岡→アビスパ福岡など)、平瀬智行(鹿児島実→鹿島アントラーズなど)ら、ストライカーが豊作だった。3年前にJリーグが誕生したばかりの当時は、優秀な高校生が軒並みプロへ進んだ時代でもある。

 そんな空前のストライカー当たり年にあって、主に右サイドを主戦場としていたMFながら、次々にゴールを陥れる小柄な選手が注目を集めた。

 初芝橋本のMF吉原宏太である。

 この大会を「就職活動の場」と公言してはばからなかった吉原は、チームをベスト4へ導くとともに、自身も7ゴールを挙げて大会得点王を獲得。一躍大会屈指の注目選手となった甲斐あって、コンサドーレ札幌への加入が決まった。

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