2020.08.28

ベンゲルが連れてきた名古屋の「塔」。
父は偉大なセレソン主将だった

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

「トーレスのような選手を持つことは、すべての監督の夢である。彼がいるだけで守備は盤石になり、中盤は前に上がることができ、残りの選手たちは勝利するためには欠かせないゴールに集中できる」

◆連載「ベンゲルのいた時代」はこちら>>

 トーレスは日本での5シーズンで約150試合に出場、リーグ戦で11ゴールを決めている。またこの時期の名古屋は、3シーズンにわたって失点が少なく、堅守を誇っていた。それも多くはトーレスのおかげである。

 トーレスはチームと決して問題を起こさなかった。いつも黙って自分のすべきことをした。ベンゲルはそこにトーレスがいることをいつも感謝していたという。

 ベンゲルとの関係は日本を去った後も続いた。現役引退後、トーレスがイングランドで2年、監督修業ができたのも彼のおかげだし、そこでイングランドと関係ができたからこそ、2013年にはマンチェスター・ユナイテッドの南米地域のヘッドスカウトを務めることができた。

 トーレスはまた、名古屋でもうひとりの偉大な選手とともにプレーした。ドラガン・ストイコビッチである。

「チームの誰もが優秀だったが、ベンゲルは私に守備の要を、ストイコビッチに攻撃の要を託してくれた。我々2人がいい仕事ができると、チーム全体もよくなった」

 1995年には3位だったチームは、96年には2位になった。ただジーコの鹿島だけは超えることができなかった。

 日本でプレーするに至ったいきさつを、トーレスはこう説明してくれた。

「私はヴァスコ・ダ・ガマの選手としてプレーし、3年連続で多くのものを勝ち取っていた。我々は本当にいいプレーをしていて、95年もすばらしいシーズンが待っていると思っていた。しかしそのシーズン前、私はあるフレンドリーマッチのツアーに参加し、そのうちの1試合が日本で行なわれた。この時まで、私は日本のサッカーのついてはほとんど無知だったが、目にした組織力と優秀さに驚いた」

 この時代、エージェントがプロ選手に近寄るのは今よりもずっと簡単だった。そのうちのひとりが日本で彼に声をかけてきたという。