内田篤人のラストゲームで見た切ない場面。限界までやり切り有終の美 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

 だが、そんなときは、同じ右サイドでプレーするMF遠藤康が、内田を追い抜いて守備に戻った。

「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かった」(MF土居聖真)

 勝って内田を送りたい。それが、チーム全員の総意だったに違いない。

 試合終了を待たずに交代で退くのではないか。内田の様子を見ていると、そんなことも想像できた。あるいは、試合の大勢が決していれば、それもあったかもしれない。

 しかし、1点のリードを許していた鹿島は、次々に前線の選手を投入。後半30分までに5枚すべての交代カードが切られたことで、内田は最後までピッチに立つことが決まった。

 残り時間は、まだ15分。早すぎる判断にも見えたが、ザーゴ監督はこの試合を内田に託すと決めた。誰より内田自身が交代を望んでいなかったのだろう。

 試合後、引退セレモニーが終わると、内田は二人の子どもを連れて場内を一周し、カメラマンの求めに応じ、3人で並んだ。

 まだ小さな子どもの目線に合わせて姿勢を低くしようとする内田だったが、右ヒザを曲げることができず、自然にかがむことができない。その姿は、この日の彼が、どれほどの苦痛のなかでプレーしていたかを物語っていた。

 シーズン途中の現役引退は、まさに限界までやり切った末の決断だったのだろう。

 振り返ってみると、内田のプレーを初めて見たのは、2004年9月のアジアU-17選手権、すなわち、翌年開かれるU-17世界選手権のアジア最終予選を兼ねた16歳以下の国際大会だった。

 当時、U-16日本代表で背番号8をつけていた内田のポジションは、4-4-2の右MF。スピードを生かした突破力が光るサイドアタッカーだった。16年前のノートを開くと、内田のドリブル突破が日本の重要な武器だったと記されている。

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