内田篤人の知られざる現役生活後半。復帰戦前、記者に直談判した理由 (2ページ目)

  • 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko
  • photo by PRESSE SPORTS/AFLO

 内田がふと、「ベンチ入ることってさ、記事にしてもらえない?」と問いかけてきた。速報記事としてインターネットでニュースにならないか、ということだった。我々はデュッセルドルフ駅前で車を降り、内田はそのまま体のメンテナンスに向かった。

 すぐに日本に連絡をとると、ある編集部が快く引き受けてくれることになり、内田と別れた数十分後には「内田復帰」の速報がネット上に掲載された。治療用のベッドでその記事を見た内田は、トレーナーに「オレ、載ってる」と、うれしそうに報告したという。

 もちろんうれしかったのは確かだろう。だが、内田には、そうやって注目を集めることで、恥ずかしいプレーなどできない状況に自らを追い込みたいという意識があったはずだ。

 2018年に鹿島に復帰すると、内田はロシアW杯の日本代表メンバー入りへの思いを公言するようになった。「日本人なら誰でもチャンスがあるものでしょう」「目指さないなんてありえない」と、最終メンバーの発表まで語り続け、なりふり構わずに復帰への努力を見せようとした。

 落選した後、内田は言った。

「ああやって代表に入りたいと言えば、内田なんて代表には不要だという人もいるでしょう? そういう声も耳に届く。そういう声もパワーに変えたかったんだよ」

 アンチの声を発生させて、それさえ自分のエネルギーとして取り込む。そこまでの状況を、半ば意図的に作ろうとしていたというわけだ。結果的には、繰り返す負傷によってリハビリに勤しむことしかできなかったが、それでも、「やれることはやった」というある種の達成感を口にしていた。

 サッカーの試合や練習はもちろん、リハビリや自分自身と向き合うトレーニング、日常生活すべてを含めて「やれることは全部やってきた」。いまは心から、お疲れ様でした、と言いたい。

2 / 2

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る