2020.08.14

野獣エジムンドが日本を去った真相。
「今でも打ちのめされた気に…」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 この時の彼の尋常でない怒りの様子を、私は目の当たりにしている。決勝直前のブラジルはこのように混乱し、崩壊し、怒りに満ちていた。その結果がフランスの3-0の勝利だ。

 日本から戻った頃から、エジムンドの言動もようやく落ち着いてきた。プレーにかつての激しさは見られなくなり、より冷静にプレーするようになった。ヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、パルメイラスなどで活躍し、最後は最愛のヴァスコ・ダ・ガマで、40歳で引退した。

 キャリア後半は「よりチームに愛着を持って、精神的に集中してプレーするようになった」と、後にエジムンドは語っている。

 こんな破天荒なエジムンドだが、家族は非常に大事にしていた。

 エジムンドの生い立ちは厳しいものだった。彼の父は理容師で、母は掃除や住み込みの家政婦をして生計を立てていた。彼が生まれ家は床がなく、土がむき出しだったという。

「ただ幸いにも、叔母のひとりが銀行で働いていた。彼女には子供がなく、うちの両親はいつも外で仕事をしていたので、俺は叔母の家で育った」

 この叔母の恋人が彼をヴァスコ・ダ・ガマのテストに連れて行った。チームで才能を認められるようになると、エジムンドは幼いながらも「自分がこれから家族を支えていく」という大きな責任を感じ始めたという。

 だが、浦和レッズでプレーしている間に、彼の家族に悲劇が起こった。弟が弾丸で穴だらけになった車のトランクで、遺体で見つかったのだ。

「今でもそのことを考えると、打ちのめされた気になる。弟を失ってから数年後には父も母も相次いで亡くなってしまった。足元が崩れていくような感覚だった。俺の名声、金、持てるすべてのものと取り替えていいから、弟を返してほしいと願った」

 弟は麻薬中毒で、その取引で何らかのトラブルに巻き込まれたと言われている。

「弟が死んだ時、俺は日本にいた。時差のため俺が知ったのは数時間後だった。すぐにブラジルに帰りたかったが、弟の遺体は警察に渡されていて、俺にできることはないとわかった。俺は歯を食いしばって最後の数試合をプレーし、ブラジルに帰った」