野獣エジムンドが日本を去った真相。「今でも打ちのめされた気に...」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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第9回エジムンド(後編)>>前編を読む

 ピッチ内外で波風を立て続けてきた「オ・アニマウ」(野獣)、エジムンド。クルゼイロとの契約を解消されると、移籍先が見つかるまで、リオデジャネイロ郊外で自主トレーニングをするしかなかった。エジムンドが首を縦にふったのは、東京ヴェルティからのオファーだった。

 ここまでのエジムンドの行動パターンを見てみると、1)プレーでチームやサポーターの心をつかむ、2)問題行動と、監督や同僚との不仲で移籍、の繰り返しだった。

 それを考えると、日本での彼はかなりよくやったのではないかと思う。

 東京ヴェルディが彼を日本に連れてきたことは間違いではなかった。結果を出し、自分のすべきことを果たした。ヴェルディでのエジムンドは、最盛期を取り戻したかのようだった。

 2001年10月、まずはデビュー戦で名刺代わりのゴールを決めると、降格寸前だったチームを救い、J1に残留させた。翌2002年には26試合で16ゴールを決め、パルメイラスから再びオファーが届いたぐらいだ。彼はヴェルディでは絶対的なスターであり、すべてのボールは彼に集まり、王様でいられた。

2003年、浦和レッズに移籍したエジムンド。だがJリーグカップ予選2試合に出場しただけで帰国した。photo by Yamazoe Toshio2003年、浦和レッズに移籍したエジムンド。だがJリーグカップ予選2試合に出場しただけで帰国した。photo by Yamazoe Toshio その後、浦和レッズが当時のJリーガー最高額のオファーをし、エジムンドは日本サッカー界に君臨するようにみえた。しかし、それから3カ月もしないうちに、彼はサウダージを感じたことにして、日本を後にした。当時の監督ハンス・オフトなどとの意見の食い違いだったと思われる。

 多くの日本人は、彼の帰国を残念に思っただろう。エジムンドが日本でプレーした最も優秀なブラジル人選手のひとりだったのは疑いようもない。

 だが、日本でも変わらないところはあった。

 2002年の頭には、彼はケガをしたという理由でキャンプに参加せず、治療のためにブラジルに戻っている。リオに松葉杖をついて戻っていったエジムンドだったが、彼が戻った時期はちょうどリオ最大のお祭り、カーニバルの時期だった。ブラジルのテレビの中継は、踊りはしないものの、音楽にのりパレードに参加するエジムンドの姿を映し出した。

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