J復帰は都落ちか? 苦戦中の海外組が見習える先人の「出戻り」成功例 (3ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO SPORT

 あるいは、小笠原満男。

 鹿島アントラーズでは2000年の三冠達成に貢献するなど、チームの大黒柱でもあったボランチは、2006年夏にイタリア・セリエAのメッシーナへ移籍。名波同様、在籍したのは1シーズンのみでリーグ戦出場はわずか6試合と、名波以上に成功したとは言い難い。

 しかし、鹿島復帰後は、攻守に力強さが増したプレーぶりだけでなく、卓越したリーダーシップも発揮。クラブ通算20冠目となるAFCチャンピオンズリーグ初制覇(2018年)を置き土産に39歳で引退するまで、常勝軍団を引っ張り続けた。

 海外移籍を経験した彼らふたりに共通するのは、リーダーシップ。周囲の力を引き出す術が卓越していたという点である。選手として、だけでなく、人間としてひと回り大きくなって帰ってきた、と言えばいいだろうか。

 もともと技術に優れ、選手としての能力は高かった。だが、日本に戻った彼らに見られた変化は、技術的なことよりも、むしろ精神的なことだった。だからこそ、彼らは周囲にも好影響をもたらすことができ、再び彼らを迎えたチームは強かったのである。

 当然、20歳前後で日本を離れた選手と彼らでは、同じ海外移籍をするにしても事情は異なる。

 名波と小笠原はいずれも27歳になる年にイタリアへ渡っており、Jリーグにいた時点で、彼らはすでにリーダーと呼ばれる立場の選手だった。仮に20歳の選手が海外で1年だけプレーして日本に戻っても、彼らと同じ役割を求められることはないかもしれない。

 だが、海外で経験してきたことを自身のプレーに生かし、チームに還元するということに関しては、何ら違いはないだろう。ふたりの他にも、大久保嘉人、阿部勇樹、槙野智章など、先人を参考にできる点は大いにある。

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