2020.07.29

「マリーシアの王」ルイゾン。
万事に抜け目ない男が来日するまで

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 そんなルイゾンがなぜ日本に来たか。それにはこんな背景があった。

 2005年、ルイゾンはサンパウロで不満な日々を過ごしていた。シーズン頭にボタフォゴから移籍したものの、監督のエメルソン・レオンは彼を評価せず、ベンチに残される日々が続き、その後、ベンチにも入らなくなった。

 そこに、日本で名古屋グランパスを率いていたネルシーニョ(現・柏レイソル監督)から誘いが来た。レオンに相談すると、「行けばいいんじゃないか」と軽くあしらわれたと、後にルイゾンは語っている。

 グランパスから提示された報酬も悪くなく、彼は州リーグの終わる7月に日本に移籍する契約を交わした。ところがだ。契約を交わした直後に、彼の天敵だったレオンがチームを去り、代わりにパウロ・アウトゥオリが監督の座に就いた。

 アウトゥオリはルイゾンを高く評価し、レギュラーとして起用。ついにはその年のリベルタドーレス杯で優勝を果たした。決勝2戦目にはルイゾンがゴールを決め、優勝に貢献している。そしてリベルタドーレス杯のあとに待っているのは世界一を争うインターコンチネンタルカップ(現クラブW杯)だ。南米ではヨーロッパ以上にこの大会が重要視されており、選手がたどり着きたい最高峰の大会のひとつだ。

 彼はそのままサンパウロに残りたかったが、グランパスとの違約金は莫大な額で、サンパウロはそれを払ってはくれなかった。ルイゾンは日本に行くしかなかった。サンパウロはインターコンチネンタルカップの期間だけ、ルイゾンをレンタルさせてくれないかとグランパスに打診したが、これも断られた。

 2005年夏、ルイゾンは日本に渡った。
(つづく)

ルイゾン
本名ルイス・カルロス・ボンボナート・グラール。1975年11月14日生まれ。グアラニ、パルメイラス、ヘルタ・ベルリン(ドイツ)、サンパウロなどを経て、2005年、名古屋グランパス入り。その後サントスなどを経て2006年に現役を引退。ブラジル代表では2002年W杯で2試合に出場している。















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