「マリーシアの王」ルイゾン。万事に抜け目ない男が来日するまで (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 ブラジルのエース、ロナウドは2002年のW杯本大会を前に、膝にケガを抱えており、誰もいいパフォーマンスをできるとは思っていなかった。当時の代表監督ルイス・フェリペ・スコラーリは、もしロナウドに何かあった場合、その代わりとなれる選手を探していた。

 そこで白羽の矢が立ったのがルイゾンだ。彼はW杯予選の重要な最終戦で代表入りし、そこで見事2ゴールを決めていた。彼のようにここぞという時に力を発揮でき、マリーシアを駆使する選手が、時に勝敗を左右することがある。監督たちはそのことをよく知っている。

 ルイゾンの方もW杯のメンバーに入るため、ピッチの外でも努力をしていたのかもしれない。

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 ルイゾンは典型的な流れ者型プレーヤーだ。17年間のキャリアの間に17回移籍し、16のチームでプレーしている。W杯直前に彼はグレミオに移籍している。グレミオは、当時の代表監督スコラーリが住むポルトアレグレに本拠地を置くチームだ。自然と代表監督の目に留まることも多くなるだろう。万事に抜け目ない彼が、そこまで計算しなかったとは言い切れない。

 結局、ルイゾンはW杯で2試合、計40分しかプレーしなかったが、それでも世界王者の称号を手に入れた。どんなにちょっとしかプレーしなかろうが、「俺はロナウドやロナウジーニョと同等だ」と、ルイゾンは堂々と言ってのける。彼はいつも歯に衣を着せず、思ったことをそのまま口にする。

 ルイゾンはサンパウロのすべてのビッグチーム、サンパウロ、サントス、パルメイラス、コリンチャンスでプレーし、リオでもフラメンゴ、ボタフォゴ、バスコ・ダ・ガマと、4大チームのうちの3つでプレーしている。

 これらのチームのライバル意識は非常に強く、通常その間の移籍はタブーとされている。それを彼は何度となく繰り返している、これほどライバルチームへの移籍が多い選手はルイゾン以外いないだろう。彼の利便性と肝の太さを物語っている。

 実際、彼はマリーシアを武器に多くのタイトルを勝ち取っている。W杯優勝に加え、リベルタドーレス杯優勝2回(バスコ・ダ・ガマ、サンパウロ)、ブラジル全国リーグ優勝(コリンチャンス)、クラブW杯第一回大会優勝(コリンチャンス)、コパ・ド・ブラジル優勝(フラメンゴ)。また、個人としては2000年のリベルタドーレス杯と1996年のコパ・ド・ブラジルの得点王になっている。

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