ロシア移籍の橋本拳人が明かす「裸一貫、世界で戦いたい」と思った契機 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 日本人MFでは、長谷部誠に近いタイプだろうか。

 しかし、橋本はいわゆるエリートではない。

 FC東京のユースから昇格し、プロ1年目の2012年はトップチームでベンチ入りしたものの、出場機会は皆無だった。2年目も状況は変わらずで、自ら動いた。当時J2だったロアッソ熊本への期限付き移籍を決断。片道切符を懸念されたが、彼は恐れなかった。

 熊本では1シーズン半を過ごし、主力として試合経験を重ねた。そしてプロ4年目の2015年、FC東京に戻ってJ1で出場機会を得て、リーグ戦は13試合出場だった。

 5年目にはユーティリティ性を売りにし、どのポジションでも挑み、28試合と出場機会を増やした。6年目、7年目で主力に定着。そして8年目となった2019シーズン、Jリーグベストイレブンに選ばれ、ボランチとして優勝争いの原動力となった。

「いろんなことにぶち当たってきた意味は、すべて必ずあるはず、と自分は思っていた。日本代表も追加招集でした」

 橋本はそう振り返っている。2019年3月、同じポジションの選手がケガで離脱し、リストに滑り込んだ。

「最初、(代表内では)信頼されていないんだな、とは感じました。でも、やるしかないって思っていました。25歳で代表に呼ばれたのは遅い、と言う人がいるかもしれないけど、自分ではそうは思っていないです。そうなる意味があるんじゃないかって。若くして選ばれたらダメだったかもしれない。そのタイミングだったというか。ぶれずにやり続けるしかない、と思っていました」

 橋本は見事に代表デビューを飾り、それ以来、ポジションをつかんでいる。巡ってきたチャンスを逃さなかったのだ。

「世界で戦いたい」

 同時に、そんな野心も湧き上がってきた。欧州各国でプレーする選手たちと同じ舞台に立って、触発されたという。

「代表に入ってみて、プレーそのものよりも、意識の面で影響は受けました。海外で長くプレーするトップクラスの選手たちは練習から激しい。それに、サッカーに対する姿勢というか......。世界でやってみたいという思いが強くなりました」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る