【THIS IS MY CLUB】25年以上フロンターレと歩むGMが思う「忘れてはいけないこと」
――まさにその時期が、ちょうど......。
「(伊藤)宏樹(現・強化本部)であり、(中村)憲剛。ブラジル人ではジュニーニョですよね。そうしたメンバーを集めて、だんだんとチームとして形になっていく流れになったんです」
――先ほど、2つあると言っていましたが、もう1つの大きな決断とは?
「(12年途中に)風間(八宏)監督を招聘した時ですよね。実はあの時、監督として実績のある人たちがかなり空いていたんです」
――そのなかで当時、プロチームの指導経験がなかった風間さんを抜擢したのは驚きでした。
「以前から"攻撃的"なサッカーは目指していて、憲剛とジュニーニョのコンビでよく点は取ってくれるようになっていました。だから、ある程度の基礎は築けていたんですけど、カウンターが主体だったこともあって、相手に引かれると、いかんせんゴールを奪えずにいた。そうしたなかで、私自身も『攻撃的なサッカーって何なんだろう?』と、深く考えてしまったんです」
――なるほど。
「そうした時、たまたま大学サッカーの試合を見に行く機会があったんです。それが、風間監督が率いていた筑波大学の試合でした。見れば、点は取られるけれども、それ以上にゴールを決めて勝ってしまう。パスはつなぐし、ボールポゼッションも高い。ゴール前でフリーだったとしても、さらにつなぐ。(ボールを)つなぎ倒すとでも言えばいいですかね。それがあまりに強烈だったんです」
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