稲本潤一、19年前のアーセナル移籍。
残酷なまでの現実を知った

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO


 もちろん、オファーがあったことが長く欧州にとどまれた要因だが、欧州でプレーし続けるにはメンタル面も重要だったと振り返る。

「寂しがり屋は無理ですね(笑)。ずっとひとりでいないといけないし、生活するうえで、細かい部分でのストレスも当然ある。それが耐えられない人は難しいでしょう。

 言葉も通じず、友だちもいない。イチから人間関係を構築する必要もある。その難しさは間違いなくあると思います。当時ネットはダイヤル回線だったし、電話代も高い。ましてや、スマホなんてありませんでしたからね」

 稲本自身も決して語学は堪能ではなく、コミュニケーションに苦労することも多かった。そんななか、生活の支えになっていたのは、やはりサッカーだったという。

「言葉は通じないけど、2カ月もすれば慣れてくる。もう、しゃべれないのは、どうしようもないんですよ(笑)。でも、サッカーがあれば大丈夫でしたね。純粋にボールを蹴っているのが楽しかったですから。語学留学だったら、たぶん無理だったでしょう」

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