稲本潤一、19年前のアーセナル移籍。残酷なまでの現実を知った (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO


 実は当時、アーセナルのほかにもイタリアのクラブから話をもらっていました。ですが、何も考えずにアーセナルに行くことを決めました」

 高校生の時にJリーグデビューを果たした稲本にとって、海外移籍を求めるのは自然の流れだった。

「日本でやることがなくなったというか、代表にも選ばれて五輪にも出て、次のステップを考えた時に『海外でプレーしたい』と思うようになりました。きっかけは1999年のワールドユースですね。レベルの高さを知ったのに、日本でやっていたら自分の伸びしろが小さくなるなと感じていました」

 ワールドユースで準優勝を成し遂げ、シドニー五輪にも出場。日本代表でも主軸となりつつあった稲本は「やれる」という自信を胸に、意気揚々とイングランドへと旅立った。

 しかし、待ち受けていたのは、残酷なまでの現実だった。

「それこそ若い時から代表に入ってましたし、自信たっぷりで行ったんですが、アーセナルのレベルの高さに、その自信は全部なくなりました(笑)。挫折というか、トップ・オブ・トップをいきなり見てしまった感じですね。

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