大物カレッカがレイソルに来た理由。
幻の日本人選手育成計画は挫折した

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 もうひとつは前に挙げた1986年メキシコW杯のフランス戦でのゴールだ。フランスのゴールを守っていたGKジョエル・バツも「あれはすばらしいゴールだった」と認めている。

 レイソルでカップ戦を含む74試合に出場、40ゴールを挙げた後の1997年、カレッカはブラジルに戻り、子供のころからの憧れのチーム、サントスのユニホームを着る。その後、1999年にサン・ジョゼで引退した。

 また2004年には、自らが作ったカンピナスFCで1試合だけセリエBに返り咲いている。

 このカンピナスFCは、引退直前の1998年に、同郷で1994年から96年までブランメル仙台(現ベガルタ仙台)でプレーしたエジマールと創設した。500万ドル(当時のレートで約6億円)をかけて作った豪華なスポーツ施設を完備するこのチームには、興味深い目的があった。

 その目的とは、日本の若手選手を育てること。優秀な日本人選手をここで育て、ヨーロッパのチームに売るのだ。半年ごとに100人の日本人を滞在させようとしていた。参加費は月3000ドル(約36万円)。練習場にはホテルもプールもレストランもあって、若い選手たちが快適に滞在できるようになっていた。

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