大物カレッカがレイソルに来た理由。
幻の日本人選手育成計画は挫折した

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 1994年、カレッカはレイソルをJFL2位に導き、ついにJリーグに昇格させた。彼はこの時のことを振り返り、「私の人生の中でも一番すばらしかった瞬間のひとつだ」と言っている。

 カレッカの物語でもうひとつ語らなくてはいけないのはブラジル代表だろう。カレッカはセレソンで64試合をプレーし、30ゴールを決めている。1986年メキシコと90年イタリアと、二度のW杯でプレーしているが、実は4回プレーする可能性も十分にあった。

 だが、1982年スペイン大会は、大会の直前にケガをし、背番号9を背負うはずだったのが、リザーブとなってしまった。

 そして1994年アメリカ大会は、予選ではほとんどの試合でプレーしたものの、その後はロマーリオとのライバル関係もあり、メディアに"年寄り"と呼ばれたことに腹を立て、大会の数カ月前に代表を去ってしまった。もしそこで辞めていなければ、彼は世界チャンピオンになれたのだが......。

 セレソンの試合の中で一番悔やまれるのは、1986年のメキシコW杯だとカレッカは言う。ブラジルは準々決勝でPK戦の末、ミシェル・プラティニのいるフランスに敗れた。

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