大物カレッカがレイソルに来た理由。幻の日本人選手育成計画は挫折した (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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「親父はブラジルでプレーの経験を積んで、もっと準備をし、成長してから行くべきだと言った。ヨーロッパで頭角を現すだけの力をつけてから行けと。他の選手たちが、私のような父を持っていないことを残念に思う。父の言ったことは本当に正しかった。ヨーロッパに行く前に準備できたのは幸いだった」

 誰もが疑問に思うのは、なぜ1993年、彼が当時は世界のサッカーの中心だったセリエAを去って日本に移籍したか、だろう。

 当時の日本は今と違って、サッカー未開の地と思われていた。しかも移籍先の柏レイソルはJFLのチームで、まだJリーグに上がれるかも不明な状態だった。

 だが、カレッカには迷いはなかったという。レアル・マドリードからの大金のオファーを断って、ディエゴ・マラドーナとプレーするためにナポリに行ったのと同様、彼はサッカー人生の終盤に、サッカーの世界に対してなにか有意義なことをしたかったのだ。

 ジーコが日本にもたらしたようなことを自分もできたら、サッカーの歴史の1ページになれたら嬉しい。レイソルからの招待は、他のどんなオファーとも異なっていた。予測できない新たな挑戦に彼はワクワクしたという。

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