カレッカが語るマラドーナの仰天
エピソード「レモンで100回リフティング」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

「母親はいつも、近所の窓ガラスを割らないようにとうるさく言っていたが、それは無理な話だった。いつもどこかの家の窓を割っていたよ」

 カレッカの子供の頃の憧れの選手は、ブラジルサッカー史上、最も頭がいい選手と言われるトスタンだった。トスタンは1970年W杯のペレのチームメイトで、背番号9を任されていた。ペレは彼のインテリジェンスによって生かされ、自分のスタイルを見つけたと言っても過言ではない。

 トスタンはゴール前でボールを待っているタイプのストライカーではない。カレッカも同じだった。ペナルティエリアから飛び出して中盤に近づき、ボールを受けようとする。そしてひとたびボールを得れば、ゴールへと突進するのだ。

 母のジザは息子たちがサッカーに興じるのをあまり快くは思っておらず、「チームのテストに連れて行ってほしい」とせがまれても、いつも、「まずは勉強しなさい」と言っていた。

 仕方なくカレッカは勉強したが、それほど熱心ではなかった。そして16歳になると、ひとりでカンピナスにあるグアラニのテストを受けに行き、合格をもらった。

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