年齢詐称していたエメルソン。来日しなければ選手生命が終わっていた (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 18歳になっても彼はまだプロ選手の一歩を踏み出していなかった。貧しかったので家計を助けなくてはならず、近所の大工の手伝いをしながらテストを受けまくっていた。エメルソンは何十回目かの入団テストに落ちると、とうとう家に帰って泣き出してしまった。のちにエメルソンの母はローカルテレビの番組でその時の様子をこう語っている。

「18歳の息子が家に戻ってきて、目に涙をためてこう言ったの。『ママ、もしかしたら俺はプロ選手にはなれないかもしれない。ママにも家を買ってあげられない』」

 そこで母のカルメン・ルチアは偽の出生証明書を作ることにした。マルシオ・パッソス・ジ・アルプケルケは1978年9月6日生まれだったが、新たに作られたマルシオ・エメルソン・パッススの誕生日は1981年12月6日。つまり18歳だった彼は15歳に若返ったのである。

 栄養不足で小柄だったからか、幸いにも誰もその詐称に気がつかなかった。しかし、実際には3歳年上なのだから、彼のうまさは際立った。こうして彼は無事にサンパウロのユースチームに入ることができた。同年代の選手の中には、同じように周囲の注目を集めていた少年がいた。その名はカカ。しかし、エメルソンは彼よりもずっと将来有望とされていた。

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