大久保嘉人が「中盤をやらせてください」と監督に直訴した理由 (6ページ目)

  • 佐野美樹●取材・文 text by Sano Miki
  • photo by ©TOKYO VERDY


 2006年6月、24歳で帰国した大久保は、自身の価値観の変化を自覚していた。スペインでの経験が糧(かて)となり、自信もつき、余裕もできた。見える景色が広がっていた。

 そして2007年、大久保はヴィッセル神戸に加入すると、それを行動に移した。当時神戸を率いていた松田浩監督のもとへ行くと、こう直訴した。

「僕に左サイドの中盤をやらせてください。僕が中盤に行ってプレーしたほうが絶対チームは回るから、そこをやります」

 子どもの頃から生粋のストライカーだった大久保は、チームのために、自ら新たなステージを選んだのだった。

(後編につづく)

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