2020.05.27

Jリーグで育ったブラジル代表。
フッキが日本で最も悩まされたことは?

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 ポルトガルでも、フッキには聞き慣れた声がつきまとった。「サッカーはうまいが......あまりにも小さすぎる」だ。ポルトガルから帰って来たフッキを、セミプロの形で唯一受け入れてくれたのは、バイーア州のヴィトーリアだけだった。

 ここから彼の話は面白くなる。私が知っているどんな選手とも違う物語だ。

 ヴィトーリアでフッキはたったの2試合しかプレーしていない。それも途中出場だった。しかし、彼の持つポテンシャル、才能、フィジカルの強さを知るにはそれで十分だった。いつのまにか背も高くなっていった。左サイドバックだったポジションもミッドフィルダーへと変わった。そして2試合をプレーした後、彼は日本へ行くこととなった。2005年のことである。

 フッキはそのキャリアのなかでたびたび監督と問題を起こしているが、日本でも同じだった。札幌の柳下正明監督はフッキのたび重なるミスのために監督のポストを失ったようなものだったと、ブラジルでは言われている。後任の三浦俊也監督の時にフッキはチームを去った。