闘将ドゥンガはコロナ禍のブラジルで45トンの食糧を配っていた (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 キャプテンだったドゥンガは、カリフォルニアの空にトロフィーを掲げながら叫んだ。

「俺たちはチャンピオンだ! 思い知ったか、クソ野郎ども!」

 喜びと同じくらいの怒りがほとばしっていた。ドゥンガは類を見ないほどアグレッシブで、同時にものすごく正直な人間だ。この時の彼がなぜ怒りを爆発させたのか、その理由は4年前にあった。

 ドゥンガは1990年のイタリアW杯にも出場していたが、この大会はブラジルにとっても、そしてドゥンガにとっても最低なものだった。早々に敗退しただけではなく、プレーの内容もひどかった。ドゥンガ自身は彼本来のポジションではない、背番号4をつけてプレーしなければならなかった。

 グループリーグの3試合は全勝したが、ブラジル人が愛するジョゴ・ボニート(美しいサッカー)は皆無だった。そして決勝トーナメントに駒を進めると、彼らはいきなりアルゼンチンと対戦しなければならなかった。

 この試合の前半を見た者のほとんどは、それまでとはまるで違うブラジルに驚いたはずだ。この大会のブラジルの試合で一番の出来だった。セルヒオ・ゴイコチェアの守るゴールに何本もシュートを放ち、そのうちの1本はドゥンガの足から繰り出されたものだった。試合は圧倒的にブラジルが支配し、ブラジルの誰もが「いける!」と思った。

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