01年ジュビロに伝説の「N-BOX」誕生。そこには夢とロマンと儚さがあった (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by AFLO

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 俯瞰すると5人の並びが「N」に見えること、名波なくしてこのシステムは成立しなかったことから、『週刊サッカーマガジン』によってN−BOXと名付けられたこのシステムは、"白い巨人"を倒すために編み出されたものだった。

 2000年に誕生したクラブナンバーワンを決めるクラブ世界選手権。その第2回大会が2001年8月にスペインで予定されており、1999年のアジア王者である磐田の出場が決まっていた。その初戦の相手が、泣く子も黙る"銀河系軍団"----レアル・マドリードだったのだ。

「当時のジュビロは、遅攻はある程度できていた。だから、いかにボールを奪うか、いかに速く攻めるか、そこにトライする必要があった」

 そう振り返るのは、「戦略家」と福西が評する指揮官の鈴木政一である。

 前年2000年の磐田は従来の3−5−2を採用していた。しかし、このシステムはレアル・マドリードのような格上と対戦して押し込まれると、ウイングバックが最終ラインに吸収され、5バックにさせられる危険性があった。それではボールを奪っても攻撃に転じることが難しい。

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