Jリーグのベスト11において、不滅の大記録を残している選手は誰だ (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO SPORT

 2強独占を阻止したのは、2001年がウィル(コンサドーレ札幌)で、2019年がアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)。2001年の札幌は年間11位、2019年の神戸は8位と、いずれも優勝争いには加われなかったが、そのなかでも出色の働きを見せた外国人選手が2強の間に割って入った。

 鹿島と磐田で年間優勝が独占された7年を経て、"2強時代"に終止符が打たれたのは2003年。横浜FMが1995年以来、2度目の年間優勝を果たしたこの年、ベスト11でも偉大な記録が生まれている。

 GKで楢崎正剛(名古屋グランパス)、DFで中澤佑二(横浜FM)が選ばれ、楢崎は1998年に横浜フリューゲルスで、中澤は1999年にV川崎で、いずれもベスト11に選出されており、異なるクラブでの受賞となったのである。

 まだまだ移籍が活発とは言えなかった2000年代はじめ、実績のある選手が別のクラブでプレーすることは、相当なプレッシャーもあったはずだが、それを乗り越え、再びベスト11に選出されたことは大いに称えられていい。それ以前にも、ビスマルクがV川崎(1994、1995年)と鹿島(1997年)で選ばれているが、日本人選手としてはふたりが初めてだった。(Q2の答え=楢崎正剛、中澤佑二)。

 その後は、Jリーグでも選手の移籍が当たり前になり、彼らに続く選手が出てきてはいる。

奥大介(磐田=1998年、横浜FM=2003、2004年)
柳沢敦(鹿島=1998、2001年、京都サンガ=2008年)
田中マルクス闘莉王(浦和レッズ=2004~2009年、名古屋=2010~2012年)
阿部勇樹(ジェフ千葉=2005、2006年、浦和レッズ=2007、2016年)
藤本淳吾(清水エスパルス=2010年、名古屋=2011年)
槙野智章(サンフレッチェ広島=2010年、浦和=2015、2016年)
西川周作(広島=2012、2013年、浦和=2014~2016年)

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