元鹿島のジョルジーニョはいま、
430人の貧しい子供を育てている

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

アメリカW杯でブラジルが優勝した翌年、鹿島アントラーズに移籍したジョルジーニョ photo by Yamazoe ToshioアメリカW杯でブラジルが優勝した翌年、鹿島アントラーズに移籍したジョルジーニョ photo by Yamazoe Toshioあのブラジル人Jリーガーはいま
第1回ジョルジーニョ(後編)

 1994年アメリカW杯でブラジルの優勝に貢献。ドイツの名門バイエルンでキャプテンを務めていたジョルジーニョは、1995年、ジーコの兄エドゥの求めに応じて来日。すぐに鹿島アントラーズの中心選手となった。彼の加入にあまり積極的でなかったというジーコも、その移籍が成功だったことを認めざるを得なかった。

 キャプテンとして多くの若き日本人プレーヤーの指南役を務め、チームにタイトルをもたらした。すでに30歳を超えていたジョルジーニョを、ギャリアの終わった選手だとみなす者も多かったが、彼はこれに自分のやり方で反論した。1996年にJリーグの年間最優秀選手に選ばれたのだ。

 1999年、鹿島を退団してブラジルに戻ったジョルジーニョは、サンパウロ、ヴァスコ・ダ・ガマでプレーしたあと、2002年のフルミネンセを最後に引退し、指導者としての勉強を始めた。ドイツに渡り、そこで多くの優秀な監督から学び、かつて在籍したバイエルンで修業を積んだ。

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