ジョルジーニョの告白。鹿島移籍時
「ジーコは私をほしくはなかった」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

あのブラジル人Jリーガーはいま
第1回ジョルジーニョ(前編)

 1994年アメリカW杯。ブラジルは決勝でPK戦の末にイタリアを下し、24年ぶりに世界チャンピオンのタイトルを手に入れた。その立役者はロマーリオだった。彼は大会中チーム内最多の5ゴールを決め、大会最優秀選手にも選ばれた。しかし、その優勝を陰で支えたもうひとりの功労者がいた。それがジョルジーニョだ。

1995年から98年まで鹿島アントラーズでプレーしたジョルジーニョ photo by Yamazoe Toshio1995年から98年まで鹿島アントラーズでプレーしたジョルジーニョ photo by Yamazoe Toshio 本大会を前にブラジルは危機に陥っていた。南米予選の最終戦で、ブラジルはウルグアイに勝たなければならなかった。そうでなければ、史上初めてW杯出場を逃す可能性さえあった。しかしこの時、セレソン(ブラジル代表)の雰囲気は最低だった。ロマーリオがその少し前の親善試合出場を拒否したことで、カルロス・アルベルト・パレイラ監督との仲が決裂しかけていたのだ。

 そこで立ち上がったのがジョルジーニョだった。彼はロマーリオにチームに戻るように説得し、モチベーションを上げさせると同時に、パレイラ監督を落ち着かせた。その結果、ロマーリオはこの試合で2ゴールを決め、ブラジルは無事W杯出場を決めた。ジョルジーニョ自身も1ゴール目をアシストなど活躍。ロマーリオはゴールを決めると。真っ先に彼のもとにかけつけた。

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