ミキッチの情熱的なプレーは、見る者のサッカー観を変えてしまった (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

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 横浜FMの選手たちは、体感したことのないスピードに脅威を感じていたに違いない。止めに入っても、封じる手段を見出せない。たった1試合でミキッチは、日本のサッカー界に強烈なインパクトを放った。

 もともとはストライカーだった。10代の頃にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブで頭角を現し、チャンピオンズリーグでゴールを決めた経験もある。同国のアンダー世代の代表でも活躍し、「クロアチアのマイケル・オーウェン」とも称された。

 ただ、その才能が本格開花したのは、当時の指揮官だったオズワルド・アルディレスによって右サイドにコンバートされてから。強烈なスピードを武器にサイドアタッカーとして覚醒し、ドイツ・カイザースラウテルンでのプレーも経験した。

 広島でも、そのスピードは重宝された。ポジションは3−4−2−1の右ウイングバック。当時の広島は、ミハイロ・ペトロヴィッチのもと、ショートパスを主体とした攻撃スタイルを標榜していた。

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