14年前に全国V。野洲高の10番はなぜプロ入りしなかったのか (2ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

「自分がいちばんうまいと思っていたのならば、プロを目指していたかもしれないです。でも、高校2年生の終わり頃には、無理やなと思ったんです。チームメイトは『ケンがいちばんうまかった』みたいに言ってくれるので、それはすごくうれしいんですけど、周りに(楠神)順平とかがいましたからね」

 サッカーの世界から離れ、現在は野洲高の同級生が立ち上げた、運送会社のナンバー2として奮闘する平原は、17歳の時の決断についてそう振り返った。

「プロではできないだろうと、薄々感じてしまって。プロになった順平や(青木)孝太とかと比べると、身体能力がなくて(当時は173cm,60kg)。プロって、そういうところが問われるじゃないですか。だから、自分は無理やろうなって」

 平原の才能の片鱗は、幼少期からあった。平原と小学1年生からの幼馴染で、野洲高でキャプテンを務めた金本竜市によると、「ケンは小1の時から、相手の逆をとっていた」という。

「ケンはボールの触り方や相手の逆をとることとか、年齢を経て修得することを、小学1年生の時にできてたんです。だから小1の時と、高3の時のプレースタイルは一切変わっていないんですよ」(金本)

 平原はドリブルが得意なことから「ドリケン」と言うあだ名で呼ばれていた。スピードがあるわけではないのに、歩くようにすいすいと相手をかわしていく。その姿を見た金本は「ひとりで全員抜くんちゃうか!?」と驚いたという。

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