誰もが認めた野洲高の天才は「『SLAM DUNK』の仙道タイプ」だった (6ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 彼らの話を謙遜しながら聞く平原に、優勝したことに対する感想を尋ねると、「全国に行った時に優勝を意識し始めて、本当に優勝してしまったという感覚です」と落ち着いた口調で振り返る。

出場を決めて「ほっとした」という全国大会で見事に優勝した野洲高校(写真右から2人目が平原)出場を決めて「ほっとした」という全国大会で見事に優勝した野洲高校(写真右から2人目が平原)「みんなと集まると、いまだにサッカーの話をするんです。今の野洲高にニッチョ(金本のあだ名)や(瀧川)陽がコーチとして関わっているので、余計にそうなのかもしれないですけど。(楠神)順平もオフに顔を出していますし。それは、優勝できたからというのもあると思うので、みんなと一緒にやっていてよかったなと思います」

 卒業後は近畿大学に進み、一般企業を経て、野洲高時代の同級生が立ち上げた運送会社のナンバー2として奮闘している。

 高校時代、圧倒的なパスセンスとプレービジョンで異彩を放っていた平原だったが、実のところ高校2年の時点でプロ入りはあきらめていた。彼自身、「プロは無理やな」と痛感する、とある理由があったのだ。
(つづく)

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