誰もが認めた野洲高の天才は「『SLAM DUNK』の仙道タイプ」だった (5ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 野洲高の選手たちは、結果が出ないことに対する危機感を募らせていた。何かを変えなければいけない。平原はまず、自身の態度を省みることにした。

 小学1年生の頃から"天才"と呼ばれた平原は、超がつくほどの負けず嫌いだった。味方がミスをすると、強い口調で叱責したり、対戦相手とやり合うのも日常茶飯事だった。

「それまでは、結構ネガティブな発言をしていたんですけど、高3のインターハイ予選で負けた時から、このままではあかんなと思い、ネガティブなことは言わんとこうと決めました」

 チームメイトの中には、コーチから「運をよくするためには、日頃の行ないをよくすることや」と言われて、学校の周りのゴミ拾いをする者もいた。彼らなりに、わらをもすがる思いで行動を改め、最後の選手権に賭けていたのである。

 だからこそ、選手権の滋賀県予選の決勝戦で北大津高校に勝った時は、うれしさよりも「ほっとした気持ちのほうが大きかった」(平原)という。

 優勝を果たした選手権では、チームの司令塔として活躍。当時のプレーについては「自分で(映像を)見ても、うまいなあと思います。ただ、いい編集をしてくれているのもあると思うんですよ。ミスはカットしてくれているので(笑)」と謙虚な姿勢を崩さない。

 小学校1年生からの幼馴染でキャプテンの金本や、決勝戦でゴールを決めた瀧川は「ケンは、ほんまはもっとうまいです。ハンデつけてやっていましたから」と茶化す。

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