2020.03.24

ピクシーの記憶に残るプレーの数々。
そのどれもが美しく遊び心があった

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by AFLO


 もっとも、当時の名古屋は「Jリーグのお荷物」と呼ばれるほど、負けがこんでいた。チームの状況に失望したのか、ストイコビッチは常にイライラしていて、デビュー戦でいきなり退場処分となった。

 豪雨に見舞われた長良川でジェフ市原相手に約40メートルのリフティングドリブルを披露するなど、スーパープレーも見せてくれたが、精彩を欠くことも多かった。おまけに外国人枠の関係(当時の名古屋にはリネカー、ビニッチ、ジョルジーニョ、エリベウトン、ガルサがいた)で、メンバー外になることさえあった。

 だが、翌95年シーズン、アーセン・ベンゲルの監督就任とともに、ストイコビッチは鮮やかに蘇る。

 欧州でも指折りの指揮官のもと、モチベーションを取り戻した"ピクシー"は、スペイン戦を思わせるファンタスティックなプレーを連発するようになるのだ。

 センターサークル付近で相手DFからボールを奪うと、ペナルティエリアの外からループシュートを放った横浜フリューゲルス戦でのゴール。