レノファ山口経由J1行き。個人昇格続出の「霜田塾」の実態 (3ページ目)

  • 鈴木智之●文 text by Suzuki Tomoyuki
  • photo by AFLO

 国見高校の主力として高校時代に3冠を獲得した徳永悠平とは、早稲田大学進学後もコミュニケーションを取り続け「ずっと僕を追いかけてくれた、FC東京に行きます」という言葉とともに加入が決まった。他クラブと競合した市立船橋高の増嶋竜也には、FC東京に来ると、将来どうなるかをプレゼンして射止めた。

 ほかにも石川直宏、今野泰幸、茂庭照幸といった、04年アテネ五輪世代を次々に獲得し、FC東京がクラブとしてスケールアップしていくベースを担う選手を加入させるなど、若手選手にビジョンを提示し、ステップアップさせることを当時から実行していた。

 レノファ山口の監督になってからも、そのスタンスは変わらない。高木大輔には「レノファで活躍したら、さらなるステップアップが望めるかもしれない。選手はいつブレイクするかわからない。できればうちでブレイクしてほしい」と口説くと、その言葉どおり、18年の初年度は38試合8得点とキャリアハイの活躍を見せ、加入から1シーズン半でガンバ大阪へと旅立って行った。

 18年、19年シーズンにキャプテンを務めた三幸秀稔は"霜田塾卒業生筆頭"と言っていいだろう。中盤の底を起点にする"和製ピルロ"で、豊富な運動量と両足の正確なキックでゲームメイクができる稀有なタレントだ。

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