阿部勇樹の悔恨「オシムさんが倒れたのは自分の責任だと思っている」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 病室では、最後までサッカーの話ばかりしていたという。

 そしてその後、オシムは「この状態では戦えない」と、日本代表監督を辞任した。阿部が描いていた、オシムと一緒にW杯を戦うという夢は、ここで潰えてしまった。

オシムが倒れたのは「自分の責任」と語る阿部勇樹オシムが倒れたのは「自分の責任」と語る阿部勇樹 阿部は、オシムが倒れたことに、ずっと責任を感じていたという。

「アジアカップで優勝していれば......」

 阿部は天を仰ぐようにして、そう言った。

 2007年7月のアジアカップ。3連覇がかかっていた大会で、日本はグループリーグを順当に突破し、決勝トーナメント1回戦ではオーストラリアとのPK戦に及ぶ死闘を制した。

 ただ、同大会でセンターバックでプレーした阿部は、自らが満足できるプレーがなかなかできず、悔しい思いをずっと抱えていた。実際、グループリーグから無失点で終える試合が1つもなかったのだ。

 迎えた準決勝のサウジアラビア戦、日本は2-3で敗れた。その試合で、阿部はゴールを決めたものの、3失点を喫したことに大きな責任を感じていた。そして、日本は3位決定戦でも韓国に敗れ、4位に終わった。

「アジアカップでは、自分がいいプレーができなくて......。準決勝では3失点して、サウジに負けてしまったし、韓国にも敗れた。その結果を含めて、いろんな面でオシムさんに大きな負担をかけてしまった。

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