オシムに心酔していた阿部勇樹。自らの移籍についても「相談した」 (6ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 以前は、いろいろなポジションをやって、悩んだ時もあったけど、それからは、いろんなことができることが『自分の強みなんだ』って、思えるようになった。あらめて『自分はそういうプレーヤーだな』と思いましたね」

オシムの指導によって、日本代表もメキメキと力をつけていった。photo by Jinten Sawada/AFLOオシムの指導によって、日本代表もメキメキと力をつけていった。photo by Jinten Sawada/AFLO 日本代表はアジアカップ予選を勝ち抜き、翌年のアジアカップを経て、徐々に力をつけていく。オシムの指揮のもと、チームは多様性に富み、相手に走り勝つ、洗練されたチームに仕上がっていった。

「ジェフでは、ファンが見て『楽しい』「面白い』って、思ってもらえるようなサッカーをやってきた。代表でも、それは変わらなかった。この日本代表だったら『応援したい』と思えるようなチームになっていたと思うし、日本代表がこの先、どんなチームになるのか、すごく楽しみでした」

 阿部に限らず、オシムジャパンに招集された選手の誰もが、このチームに期待を膨らませていた。それは、多くのファンやメディアも同じだった。ドイツW杯の悪夢を払拭し、次第にオシムジャパンに大きな希望と夢を抱くようになっていた。実際、一度は落ち込んだ来場者数やテレビ視聴率は、2007年を迎えると、かなりの上昇傾向にあった。

 だが、そんな明るい未来を打ち砕く"事件"が起きた。

 2007年11月、オシムが脳梗塞で倒れたのである。

(つづく)

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