阿部勇樹、恩師を語る「オシムさんがいなかったら、今の僕はいなかった」 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 ただその頃、僕は自分で何かを変えていかないといけないと感じていたんです。そういう時にキャプテンという大役を任されたのは、逆に自分を変えていくチャンスでもあった。最初はぎこちなさもあったけど、今思えば(キャプテンを)やってよかったなと思っています」

 若きキャプテンは、とにかく練習から責任感を持ってプレーすることを心がけた。チームをまとめることに関しては、中西永輔や坂本蔣貴らがサポートしてくれたり、相談に乗ってくれたりした。

 そうして、日を追うごとに阿部が指示を出す声が増え、その声が大きくなっていった。誰もが「あの、おとなしい阿部が......」と、その変化を感じ取っていた。オシムによる、阿部の才能と性格的なひ弱さを見抜いた、見事な人事戦略だった。

 シーズンが始まって、オシムはさらに"自分流"のチーム作りを推し進めていく。同時に、選手たちから出る不満の声は一段と増した。

 大きな理由のひとつは、終日のオフ日がなくなったことである。それまでは、土曜日に試合があれば、日曜日にクールダウンをして、月曜日はオフだった。だが、オシムは日曜日にも練習して、さらに月曜日の夕方からも練習すると決めたのだ。

 そのため、多くの選手から「練習がハードになるのは仕方がないが、オフがなくなるのはおかしい」という声が上がった。そこで、選手を代表してキャプテンの阿部が、オシムのところに、みんなの声を届けることになった。

「(オシムのところに行くのは)嫌でしたよ。『休みがほしい』とか、一番言いにくいじゃないですか。だから、オシムさんに言いに行く時は、すごく緊張しました」

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